日本ではお金のことを話す人を、「卑しい人」と捉える傾向があります。
また、不労所得に対しても、ずるい行為だと認識されがちです。
お金や投資の話をすると、日本では、以下のように言われることが多いと思います。
「あの人は卑しい。すぐにお金のことを話すから。」
「あの人は株で利益が出たみたいよ。働かないで、お金を得るなんて、とんでもないね。」
しかし、タイトルにあるとおり、表面的には「お金の話」を嫌う日本人ですが、実は、お金の話がとても好きなんじゃないのって思うことが多々あります。
嫌いは好きの裏返し。
好きな相手に対して、少しちょっかいを出しちゃうみたいな感覚なんですかね。
お金の話はリアルの場ではしづらいので、こうしてブログの場を借りることで、普段から私が思っていることを書いてみようと思います。
実はお金が大好きな日本人?
お金を少しでもオープンな場で話すと、「あの人は卑しい」と思われてしまうのが、日本の社会です。
これって、裏を返すと、実は日本人はお金のことを誰よりも好きで、かなり重要なものと考えているんじゃないの?って個人的には思ってしまいます。
なぜかといえば、別にオープンな場でお金の話をしていようが、その話題が自分にとって大した問題でなければ、無視すれば良いだけだからです。
でも、無視ができないのは、少なくとも「お金」は重要なものと認識しているということですし、実はもっと言えば、お金のことが好きなんじゃないの?、ということが分かってきます。
もちろん、「俺はこんだけ株で儲かったんだ!」とか自慢してくる人は、別の意味で痛いです。
しかし、例えば、将来の資産形成や自己投資、ビジネスの話をするのは、とても自然のことです(広くマネーリテラシーについて)。
こうした健全なマネーリテラシーの論議も、一括でまとめられて「お金の話をする人は卑しい人」と認識されてしまうのは、とても残念ですね。
デフレとは良くも悪くもお金への執着を意味している
日本はここ20年間ずっとデフレが続いているわけですが、これってとても異常な状態なんですね。
言うまでもなく、デフレとは、お金の価値がどんどん上昇していく経済現象です。
なぜ、お金の価値が上がるかといえば、それはお金への需要が凄いからです。
みんながお金を欲しがって、銀行やタンス預金として貯めまくることで、社会に出回らなくなるんです。
お金が社会に出回らなくなると、市場に出回るお金の量がどんどん減って、更にお金を手に入れるのが大変になります(逆に言えばお金の価値は上がっていきます)。
私が勝手に師匠としている、イギリスのジョン・メイナード・ケインズは、このことについて「貨幣愛」と呼んでいます。
フェチズムですね。フェチというと、少し変態の匂いがしますがw。
本来のフェチの意味は、「異常な執着や拘泥」という意味です。
ケインズが表現した「貨幣愛」とは、まさに「お金への異常な執着」を意味します。
全世界な現象だと思いますが、個人的に日本で生活をしていると、日本人はこの「貨幣愛」が特に強いように感じます。
「本音と建前」が得意な日本人ですが、建前としては「お金は卑しい」と言いながら、本音では「誰よりもお金が好きな国民性」を持っているんじゃないですかね。
お金は信頼の証でもあるので、軽く扱って良いものではありませんが、今の日本は少し窮屈すぎる気がしますね。
前にもブログの記事で書きましたが、お金を稼ぐことは、社会にとってはとても良いことです。
私はリアルな場でお金の話をすると、色々と面倒くさくなるので、もうしなくなりました。
ただ、思うところは色々とあるので、こうしてブログやTwitterで発信をしています。
この記事で伝えたいのは、お金のことを卑しいと考えている人こそ、お金について誰よりも執着している、ということです。
そして、そんなことを言われても、あまり気にせず、お金を稼ぐということは、社会に価値を提供することなので、たんたんと社会に自らの価値を還元し続けましょうってことです💰